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日本刀専門店
​銀座長州屋

大磨上無銘 伝尻懸

鎌倉後期

大和国

Shikkake

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Copy right Ginza Choshuya
Production work
​Tomoriki Imazu

 大和国の刀工尻懸則長(しっかけ のりなが)には「四十八作」と行年銘のある文保三年紀の短刀があって鎌倉後期に活躍したことが判り、「大和國尻懸住則長作」の太刀(重文)から尻懸は地名(注①)で、さらに前田家伝来の太刀(第九回特重)の「大和左近允則長(やまとさこんのじょう ながのり)作」の銘から、形式的とは言え、近衛府の職を任官していたこと等が知られる(注②)。また、尻懸則長の作が摂関家有縁の談山神社(たんざんじんじゃ)にあることにより、則長と藤原氏及び朝廷との深い関わりも想像される。
 尻懸と極められたこの刀は、元来二尺六寸を超える長さがあったとみられ、今尚身幅が広く、深い輪反りが付いた猪首ごころに造り込まれ、真の棟が高く広い鎬地に棒樋が掻かれて鎬筋の立つ、力強くも美しい姿。明るい地鉄は大和伝の特色顕著な柾目主調に地景が密に入り組み、地沸が肌目に沿うように流れて大和千手院(注③)を想わせ、沸映りが立ち、湯走りと淡い飛焼が入る。直刃調の刃文は浅く湾れ、処々に焼頭が揃い気味の小互の目が配され、乱れ込んだ帽子は強く掃き掛けて焼き詰める。銀砂のような沸が煌めいて刃縁の明るい焼刃は、刃境に湯走り、細い金線、砂流しが掛かって処々二重や喰い違い刃となり、沸で明るい刃中には沸足が盛んに入り、一段と強く沸付いた物打付近に沸筋が流れ掛かる。精強な地鉄に、放胆に変化する刃文が冴えて抜群に優れ、當麻、手掻、保昌等、同時代の大和他派に比肩する堂々の一刀となっている。

注①…尻懸は東大寺付近の現奈良市雑司町内の地とする説と、天理市岸田町の小字尻掛とする説がある(福永酔剣先生『刀工遺跡めぐり三三〇選』)。
注②…保昌貞吉にも「金吾」(衛門府の唐名)を冠して銘された短刀がある(第十一回重要刀剣)。
注③…本間薫山博士は鎌倉末期の千手院と鞘書されている。
大磨上無銘 伝尻懸
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大磨上無銘 伝尻懸
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